富山県のマコさんへ
昭和44年、若年性緑内障という難治性の病気によって、高校3年になった私は右目の視力のほとんどと左目の視野の半分を失いました。希望に輝いていた18歳の私の心から一切の色彩が消え、まるでモノクローム映画の中に入り込んだような毎日でした。高校を卒業後、私は周囲の勧めで受動的に盲学校へ入学しました。そんな私でしたが、教師や生徒たちは温かく迎えてくれ、陸上競技が好きだった私は、仲間たちとランニングを通して、閉鎖的な状況から抜け出せたように思います。さらに私の“灰色の青春”に、鮮やかな色彩と潤いを与えてくれたのが、マコでした。あれから30年、二人は別々の人生を歩んでいますが、私の青春時代の中心には間違いなく彼女が存在していました。そんな彼女、今は富山県に住んでいるマコさんに、感謝の気持ちを込めて、当時流れていたこの曲を贈りたいと思います。
福井県福井市文京 ラジオネーム「秀さん」さん
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