昔勤めていた職場の先輩の幸子さんへ
町に新入社員が見られる頃となりました。私は昭和35年、日本が高度経済成長や所得倍増政策を掲げ、4年後に開かれる東京オリンピックの準備などで非常に活気のあふれていたころに職に就いた者です。当時は家に電話のある人が珍しかった時代で、私はお客様から電話がかかってくるたびにビクビクし通しでした。そんな中、1年先輩の幸子さんは、商家に育った方なので、来客の応対や電話の受け答えもうまく、私のお手本でした。今は共に未亡人となり、文通でお互い励ましあっています。その当時、大ヒットしていあフランク永井さんの「有楽町で逢いましょう」をプレゼントしたいと思います。
青森市 ラジオネーム「昔津軽娘」さん |