親父とおふくろさんへ
中学を卒業し、東京に就職する時、「陰日向なく働くんだぞ。誰かが見ているもんだ」の言葉を胸に、昭和39年の春、上野行きの夜行列車に乗り、社会に旅立ちました。友達や同僚の裏切り、道理に合わぬことなど、いまだ日常茶飯事のように遭遇しては、時々落ち込むこともあります。世渡り下手で、周囲から見れば一種偏屈なところもあり、出世などには縁遠い私ですが、子供の頃からの純な気持ちは色あせていません。明治生まれの父と大正生まれの母の元で育った子供の頃のことが体と脳に染み、58歳になろうとしている今も消えずに残っています。社会的な出世はしませんけど、心は出世街道まっしぐらです。今は亡き両親に感謝を込め、この歌を贈りたいと思います。
宮城県栗原市 菅原民夫さん |