結婚を誓い合いながら別れた裕美子さんへ
私が呉市に住んでいた昭和57年の2月に、佐賀県の唐津市で保育士をしていた裕美子さんと知り合いました。物の見方や価値観がほとんど同じで、世の中にはこんな人もいるのだなと驚いたものです。初めてのデートは、共通の故郷である福岡の祭り「博多どんたく」の時で、腕を組んでパレードを追いかけ、歩き回りました。こんなに楽しい日は、私のそれまでの人生で初めてでした。そして、三度目のデートでプロポーズ。彼女もOKの返事をくれました。彼女は、手紙で「私はあなたに出会うために生まれてきたのね。私はあなたを心から愛しています」と書いてきてくれました。うれしくて心が弾み、その日は眠れませんでした。私は彼女に、パーシー・フェイス・オーケストラの「シンシアのワルツ」のレコードをプレゼントしました。以前から、結婚を誓った人には、大好きなこの曲を贈ろうと決めていたのです。ところが、婚約指輪を贈り、式場まで決まっていたのに、ある事情で結婚できなくなりました。最後の日、彼女は贈ったレコードを返してくれました。東唐津の駅で別れる時、もう一生この人の姿を見ることはできないのだと思うと、胸が張り裂けそうになりました。今でもひとときでも心を重ねあわすことが出来た彼女を忘れることが出来ません。そんな裕美子さんに想い出の「シンシアのワルツ」を贈りたいと思います。裕美子さん、今でもお元気でいらっしゃいますか?
広島県福山市 匿名希望さん
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