14歳の自分へ
昭和38年か39年あたりに流行っていたこの曲が大好きで、レコードが欲しくて、何度もレコード店に足を運ぶものの、小遣いをせがむほどの余裕がない家庭でありました。
そこで、3歳下の弟(ヤスオといいます)を連れてレコード店に行き、レコードジャケットから歌詞カードを外し、この日本語の歌詞を書き写しました。
書くということは、この年になっても消えることはなく、覚えているものですね。当時、洋盤レコードは360円位だったと記憶しています。この曲を聴くと、東京オリンピックの華やかさとは裏腹な、自分自身のちょっと暗めの中学生と重なります。叶えていただけたら幸せです。
鹿児島県霧島市にお住まいのラジオネーム「霧島のおばさん」さん |