十八歳の頃の自分と仲間たちへ
昭和五十五年の夏、電気屋の店員になっていた僕は、平日の休みに野郎4人と、ピチピチのお嬢様2名で、陸前高田まで海水浴に行きました。荷沢峠(にざわとうげ)を越えると、その先は長い下り坂で、やがて世田米(せたまい)の三叉路に入ります。すぐ地殻は気仙川になり、川沿いに進むにつれ、視界がだんだん開けてきます。そして、10時を過ぎた頃、陸前高田の市内に入り、沼を越えるとすぐに駐車場があって、そこで車を降りました。それからすぐ近くの防波堤を越えると、海水浴場に着きました。海の家かレストハウスで水着に着替え、海で泳ぎます。そして、お昼になったら2階の食堂で、ほたて焼きにイカポッポ、磯ラーメンにシーフードカレーで昼飯となりました。食事の後は、また海へ出て遊び、3時くらいになったら帰り支度を始め、有料の温かいシャワーを浴びて着替えをして、また荷沢峠に向かいました。こうして水力発電の管路(かんろ)を眺めながら、月に一度の休暇は終わり、スイカのような、メロンのような、汗とちょっぴりおしっこくさい十八の夏は幕を引きました。
岩手県花巻市にお住まいのラジオネーム「僕の記憶」さん |